先日、19歳の体操オリンピック代表選手の喫煙・飲酒が発覚し、オリンピック代表を辞退するというニュースがありました。
ことの顛末を一言で言えば、未成年にも関わらず喫煙し、結果としてオリンピックに出る事が出来なくなりました。ネット上では、これに対する賛否様々な意見が飛び交っています。筆者も、自分の考えとは異なる意見をしている方といくつかやり取りもしました。
小学生1年生から30年近く種目・立場は変われどスポーツに親しんできましたが、これほどまでにスポーツに対して意見の隔たりがあるのも珍しいなと思い、この話題に触れてみることにしました。
今回は、この件について
- 自分はどのように捉えたか
- なぜそのように考えたのか
- 自分の考えと違う結論の人に対して、どのような意見を持ったか
これらを言語化してみようと思いました。
この話題、まだまだ可燃性の高い話題だと推測します。
事前に予防線を張りますが、本記事はあくまで筆者の思考の整理が主目的です。自分の中で出た結論にブレがあると感じ、なぜそう考えたのかをなるべく言語化した、というのが本記事です。
当該選手を擁護する人・断罪する人どちらの意見が正しい・間違っているを議論するつもりはありませんし、私と異なる意見を持つ人を論破する意図もありません。当然ながら、未成年の飲酒喫煙を擁護するものでもありません。
大会には出場できるべきという主張(以下擁護派と記載)・欠場は妥当であるという主張(以降妥当派と記載)どちらの主張にも理解できる部分と出来ない部分があると感じ、それを自分なりにできる限り言語化してみました。
最終的にもたいした結論はないので、同じようにモヤモヤ感を抱いた人が、思考整理のために読むくらいしか価値がないとは思います。
記事内では、ネット上で主に見かけた論点を4つピックアップしましたが、結論に至る論点はこれだけでは無いかもしれません。
筆者の意見
個人的には、「当該選手の大会チームからの離脱は致し方ない」と感じました。
未成年者の喫煙という行為に対して、非常に重い処分になったとは感じます。個人的には、当該選手は気の毒だと感じました。
確かに、自業自得と言えばその通りだとも思います。ただ、筆者が今後も経験することは絶対に無いような重圧・心理状態の中で、そのような違反行為に走った19歳の選手に、そのような言葉を掛ける事は出来ないかな?とも感じました。
一方で、「じゃあ出場させるべき」と言われると、それは違うかな?と。擁護している方のさまざまな投稿を見る限り、自分の意見とは違うなと感じました。
個人的には本項の冒頭に記載した通り「出場はあり得ない」とは思いませんでしたが、「チームからの離脱はやむを得ないのでは無いか?」と考えました。
個人的には「代表選手が利用する施設内において、代表選手が一律禁止されている飲酒行為が、内部告発によって発覚した」この時点で、当該選手は代表チームから離脱されて然ると考えました。今回は、それがたまたま未成年者であったと言う印象を受けました。
論点1 行為と処罰のバランスが不釣合いである
これについては、筆者もそのように思います。
(本当かな?と思う部分はありますが)1回の喫煙と飲酒で、オリンピックに出場出来なくなってしまいました。競技の年齢的特性を考慮すると、4年後の五輪に出場するのは難しいのかもしれません。
個人的にも、行為に対しての処罰が大きすぎるという感覚があります。そして、それに対して「気の毒だ・可哀想だ」という感情があります。法律で禁止されている未成年の喫煙という事であっても、情状酌量の余地はあっていいのかな?とも思います。
一方で、後述しますが日本体操協会として飲酒喫煙は年齢を問わず禁止されています。であれば、選手として施設を利用中にその施設内で飲酒喫煙をすれば、注意・罰金(があるのかは分かりませんが)では済まず、選手活動休止等の処分になり得る事は予見出来たと考えます。
もし喫煙が発覚した際、出場出来なくなる大会が来年以降も開催される「箱根駅伝の体操版 (体操の事情に疎くて申し訳ありません)」であれば、出場停止はやむなしでしょうか?「体操版箱根駅伝の出場停止」であれば、少なくとも五輪辞退よりは行為と処罰のバランスは取れているように感じます。
擁護派の方の見解が「箱根駅伝は出場停止・五輪はOK」「箱根駅伝も五輪も出場可」どちらなのかは分かりません。ここも、人によって異なるでしょう。
ただ、協会としては、五輪を特別視しなかった(若しくは、五輪だからこそ出場させなかった)なのかな?と感じました。
論点2 未成年の喫煙は「たかが」か「されど」か?
論点1と同様に目立った意見が「たかがタバコじゃないか」という主張です。筆者は「たかがタバコで五輪の出場機会が奪われるのはおかしい」という意見だと理解しました。ある程度年配の男性に多い主張だったように思います(明確にカウントしたわけではありませんが)。
筆者(30代男)は、2024年に於いて「たかが未成年のタバコ」という主張はちょっと苦しいのでは?と感じました。
これは時代的な感覚なのか・世代的な感覚なのか・その両方なのかの手がかりを探るべく、時代別・世代別の喫煙に関するデータを調べてみました。
厚労省のこちらの調査によると、平成元年当時、男性(全年代)の平均喫煙率は55%というデータを見つけました。20代・30代男性に至っては、62%・65%です(ちなみに同女性は8.9%・11.7%)。
当時の喫煙者が10代の頃から喫煙していたのかは、分かりません。ただ、ゼロでない事は想像に難くありません (参考までに、平成10年と古い調査ではありますが厚労省のこちらの資料によると、喫煙習慣があると回答した約半数は10代の頃から喫煙している、とありました) 。
それから35年経ち、男性の平均喫煙率(全世代)は27%まで下がりました。2024年、非喫煙者は完全にメジャー・主流になりました。公共の施設においても、分煙・禁煙が当たり前です。個人的には、いい時代になりました。
ここで何が言いたいかというと、「タバコに対する認識は、30年前に20代30代を過ごした人と2024年のそれでは全く違うのではないか?」と。
だからこそ、年長者になるほど「タバコくらいで」「たかがタバコで」という認識になり易いのかな?と思いました。
確かに、2024年のいまでも未成年者の喫煙に罰則はありませんので、「たかがタバコ」とも言う事もできます。ただ、そもそも罰則の有無以前の話として、タバコは「吸わないのが普通」です。
「20歳になって許可されても吸わないのが普通」になったタバコというモノに「たかが」という枕詞を付与するのであれば、「『たかが』なら、吸わなきゃいいのに。そもそも10代の喫煙は違法ですよね?」という反応が返ってくるのは、ごく自然なことと考えます。
ちなみにこちらも厚労省の調査になりますが、飲酒習慣のある男性(全年代)も、令和元年時点では全体の34%だそうです。筆者は少数派ということになりますね。
論点3 法律よりも重い罰則を持った内部規定(ルール)は無効なのでは?
日本体操協会は、選手に対して行動指針を示しています。その中には、“選手は年齢を問わず喫煙は不可。飲酒は、許可制(概略)”といった旨の規定があるようです。
これらの、法律を超えた厳しい規則に対して異を唱える意見を目にしました。
これについて、筆者の感覚としては、「内容にコンプライアンス違反があるわけでも無く、特に問題ないのでは?」と感じました。
自分の思考を整理する中で、筆者が今回の件で「大会からの離脱はやむなし」と考えたのは、下記サッカー選手の事例を見てきたのが非常に影響している事に気がつきました。
遡ること2021年2月、サッカーJリーグの浦和レッズに所属していたある選手が、チーム内の規律違反を理由に退団となりました。
違反の内容は、コロナ禍におけるチームの外出・外食禁止令を破った、というものです。
一緒に外出した別の選手は、1回目という事で厳重注意。当該選手は、前年秋に続き2回目の違反ということで、チームからの離脱を命じられました。形式上は離脱ですが、実質的には解雇・クビだったと思います。
当該選手は2010年に移籍してきて、在籍12年目。チームの中で歴は長く、在籍年数を上から数えて5本の指には入っていたと記憶しています。文字通りチームの顔・中心選手で、キャプテンを務めたシーズンもありました個人的には、背番号入りユニフォームを買うくらい応援していた選手だったので、非常にショックでした。
それほどの選手であっても(それほどの選手「だから」だったのかもしれませんが)、規律違反をすればチームからは出て行かなければなりません。当時の監督が会見で「規律違反は受け入れることが出来ない。チームの中に、そのような違反を黙認する事に疲れている部分があるように感じた」とコメントしていました。こちらも、違反の発覚は内部告発によるものでした。
個人的にはショックな出来事でしたが、2020年代においてチームスポーツとはこういうものかと理解しました。
浦和レッズの事例とは異なり、今回の違反者は未成年の学生です。成人のプロサッカー選手とは立場が異なります。よって、浦和レッズの事例をそのまま今回に当てはめて良いのかは、自分でも分かりません。
それよりもポイントなのは「スポーツのチーム・組織に所属して活動する以上、チーム・組織のルールを守る必要がある。そのルールや罰則が法律より厳しいとしても、チームや組織で活動する上ではそちらが優先される」という事なのかな?と。
内部告発で飲酒が発覚したのは、代表選手が利用するトレーニング施設内だったようです。であれば、代表選手として活動中の違反であることは明らかであり、体操協会が定めたルールの適用範囲と考えられます。
であれば、法律が定める罰則以上の厳しい処分にも妥当性はあるのかな?と感じました。
代表選手が利用する施設内における飲酒が、内部告発によって発覚したのが決定打と感じた
筆者の意見の項で記載した繰り返しになりますが
「代表選手が利用する施設内における飲酒が、内部告発によって発覚した」個人的には、この時点で大会から離脱させられるのは当然と感じました。今回は、それがたまたま未成年の選手だったという感覚です。
もし、今回の喫煙・飲酒発覚が「私的に飲食店を利用した際に喫煙し、それを週刊誌に撮られたor店員が写真をSNSにアップした」といった経緯であれば、個人的には考えが変わったかもしれません。「チームメイトや関係者・協会全体で当該選手の行為を庇って、厳重注意の上で大会に出場」という選択肢は、残されても良いのかな?と感じました。擁護派の皆様が仰る通り、一回のミスに対する罰則が重すぎるように感じるからです。この感覚は甘いかもしれませんが。
ここからは邪推になりますが、チームとして「あの選手は実はこっそり飲酒喫煙しているけど、チームとして五輪に参加してメダルを狙う上では不可欠な選手。見て見ぬ振りをしよう」という選択肢もあったと想像します。
ただ、今回はそうではありませんでした。
チームとして活動する上で、規則に違反する者を良く思わない人がいる。その人を内部告発した。
この状況でチームから離脱するべき人は、告発者ではなくルール違反者です。
「日本代表選手として活動中に、その施設内での飲酒が内部告発によって発覚した。」これでは、擁護できる要素がないと言うのが個人的な考えです。
同じ「未成年の飲酒喫煙」にも関わらず、発覚の経緯や喫煙の場所で結論がブレるのはどうなの?とは自分でも思います。だからこそ、何故自分がそう考えたのかを整理するために言語化しました。
今までの人生で見聞きしてきた経験や、行為と処分の重さのバランスその他諸々を勘案したとき、筆者はこのように感じました。特に、浦和レッズの事例を経験していなかったら、考えも変わっていた気がします。
繰り返しになりますが、未成年の喫煙という罰則のない法律違反に対して、五輪に参加できないという処分は重いと感じます。ただ、「日本代表選手として活動中に、その施設内での飲酒が内部告発によって発覚した」以上、協会としても厳重注意etcの処分では済ませる事が出来なかったのではないか?と考えました。
普通に考えれば、処分を決定する教会としてもメダル獲得候補の選手をチームから離脱はさせたく無いはずです。ただ、そうせざるを得なかったのではないか?と思いました。
その意味では、今回の件を擁護するしないは、人生でどのような経験をしてきたかによってかなり変わる気がしました。(しつこいですが、どっちが良い悪いを議論するつもりはありません)
論点4 罰則が明文化されていない(から不当に重い罰則も罷り通っておかしい)
この主張は、100%とは言いませんがある程度納得です。
日本体操協会のHPには「選手の行動規範」が掲載されていますが、当該ページではこれに違反した際の罰則については言及されていません。(少なくとも、筆者は見つけることが出来ませんでした)
小さい文字が沢山書かれた「選手規約」のような文書には、記載されているのでしょうか?そこにも、「これらの規則に違反した者は、協会が後日定める処分を受け入れる。但し、処分内容提示後○日以内は、所定の手続きにて異議申し立てを行う事が出来る。その方法は云々」的な文言なのでしょうか?
「判断を下す人のサジ加減で処分内容が変わるのは、良くない。明文化すべきだ」
この主張は、その通りだと思います。
一方で、そのような世界になった場合、筆者の考えである「行為としてはおなじ未成年の飲酒喫煙だけど、発覚の仕方・行為の頻度や回数・場所よっては、ある程度情状酌量の余地があってもよい気がする」という考え方は、完全に廃されます。「規範に違反した場合は○ヶ月の選手活動禁止」とルールが定められていれば、違反が発覚した時点で規則に則って処分する以外の選択肢がなくなるからです。
そして「明文化すべき」という主張が受け入れられて今後明文化の方向に進んだ場合、今回のような未成年の飲酒喫煙は「大会参加しにくくなる方向に明文化されるのでは?」と感じました。
繰り返しになりますが、未成年の喫煙は法律で禁じられています。であれば、スポーツその他各種団体が定める「独自の規定」が、未成年の喫煙を場合によっては許容する、という方向に規定されるとは考えにくいです。仮にそのような規定を策定した場合、その団体のコンプライアンスを問われます。少なくとも、筆者が規則を定める側の立場であれば、未成年者の飲酒喫煙は一発アウトという規定を策定します。
これが社会的に良いのかどうかは、判断がつきません。発覚したら即アウト、という方が分かり易いとは思いますが。
まとめ
個人的には、一回の失敗で人生を棒に振るような社会は望みません。そこは、擁護派の方々の主張に賛同します。筆者も、他人に言えないような情けない失敗をたくさんしてきて今があります。
ただ、今回協会が下した判断は、妥当のように思います。
様々な立場の人が意見をぶつけることで、結果としてより良い社会になれば良いなと思います。