2021.11.1週の、トレーニングログです。
先週は水曜に祭日があったのと、金曜日は娘の通院に伴い有給取得をしたため、練習量を確保出来ました。
11.2 ジムにて筋トレ
- スクワット 60kg 7
65kg 7
70kg 7×2 - デッドリフト 45kg×7
50kg 7×2 - レッグプレス 105kg 10
155kg 10×3
70kgのスクワットで消耗したのか、レッグプレスが不調でした。
11.3 蓬莱峡―衝原(つくはら)湖―西六甲練
祭日のこの日は(も?)、午前縛りで実走練。
自宅を出る時間的に、100kmは無理かなーという感じだったので、一先ず行けるところまで西へ。Go Westです。
蓬莱峡は、「前半突っ込み・後半タレ」のダメなパターンで、18分半程度。そのまま、衝原湖までノンストップで。
映えスポットで1枚。
ココは、日とモニュメントの向き的に、午後に行く場所なのでしょうか?午前中に行くと、必ず逆光です。
帰りは、時間にちょっと余裕がありそうだったので、西六甲をFTPペースで淡々と登坂。
途中、3カ所ほど道路工事の箇所がありました。しばらくTTは出来なさそうな感じでした。
来春迄には終わるのでしょうか?
西六甲は、紅葉は所々で進んでいました。見頃はもう少し後でしょうか。
東六甲は紅葉の見頃で、道路の隅は既に散った落ち葉が堆積していました。
特に下る場合は、当面スリップ注意です。
11.5 FTP110% 10分走 2セット
昼に娘の通院があるため、この日は有給。代わりに土曜日出勤するので、結局休日の数はプラマイゼロな訳ですが。
この日は、インドアサイクリングでしっかりボリュームを稼ぐ予定でしたが、気が緩んだのかまさかの寝坊。
仕方が無いので「時間短め・強度高め」のキツいパターンのメニューに切り替えます。
今の時期は、Gorbyまでの高強度は不要と判断し、FTP110%で10分走でした。
絶対値は290wと大して自慢できる高さではない訳ですが、相対的なキツさはレースのそれ…
速いか遅いかだけの違いで、「キツさ」は同じですからね。
なお、キツすぎて2本目は10w下げました。
たった10wでしたが、特に中盤4分の体感的な長さ・キツさは天と地の差になります。これは非常に興味深いです。
この10wの間に、今の自分の限界ラインが引かれているのだと思われます。
この限界ラインをキッチリ攻めるのが、一番効率の良いトレーニングになるはずです。
11.6 Zwift Race
土曜出勤後に、インドアサイクリング練。
昨日にメニュー走をしたので、本日はイベントでレース走としました。
いつものPWRによる区分けでは無く、年代別でA-Dまでカテゴリーが分かれているパターンのイベントでした。
途中3w/kgくらいまでペースが緩むので、なるべくペースを上げるよう努めます。
5w/kgくらいでインターバル的にペースを上げてもDカテ(60代)の日本人に追いつかれてしまうのですが、最後7分程度の登りで引き離しました。
凄い60代なのか、サイボーグの60代だったのかは謎のままですが…
個人的には、Zwiftレースの順位には大した意味を感じていないので、ゲーム内の良きライバルとして利用するようにしています。
L3-L5まで、満遍なく走れたので満足です。
11.7 蓬莱峡―三木城練
11.3のリベンジ練です。3日も本当は三木城まで行く予定でしたが、出遅れて辿り着けず。
蓬莱峡を経由して、無事三木城まで行くことが出来ました。城というか、城跡です。
この日は、前日娘の寝かしつけに早々に成功したため、いつもより早めに出発(当社比)。
ただ、蓬莱峡は、金曜土曜に高強度で走ったのでペースは上がらず。
往路は下り基調&追い風基調で順調でしたが、復路は4mの向かい風と1時間格闘するハメとなりました。
1h強制L3-L4走の末、予定通り12時の6分前に帰宅成功。
なお、三木城に特段の思い入れはないのですが、昨年出走した神戸ブルベで当日PCから除外されたので見ておこうという、ただそれだけの理由です。
自宅からちょうど50kmくらいですので、4hノンストップ練には丁度良い距離感でした。
この数年以内に大阪府民になる可能性が高いので、今のうちはなるべく西の方を走っておこうと思います。
別府フミ選手 引退
彼のブログにて、今シーズンをもって現役を引退する旨の発表がありました。
同郷という事もあって日本人で一番応援していた選手だったので、個人的には非常にツラいアナウンスとなりました。
東京五輪に伴うTREKからの移籍と、移籍先で抱えた問題。コロナウイルス感染とそれに伴う五輪の延期。
キャリアの晩年は、思うような活動が出来なく、辛かったのだろうなと想像します。
そして、2020、2021年と恐らくジャパンカップでもお会い出来た筈なのに、まさか2019年TREK時代のそれが現役最後になるとは、その時は思いもしませんでした。
一つ一つの出会いを大切にしなければならないと、改めて感じさせられる出来事でした。
今後も拠点はフランスになるのだとは思いますが、また日本でお会い出来る日を楽しみに待ちたいと思います。